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岡山県鴻島に住み始めて1ヶ月が経つ。自然豊かな島の生活を楽しんでいる。
日常に気が散る要素がないと、一つのことをずっと考えることができる。千葉郊外に住んでいた頃は、朝起きた瞬間に昨夜考えていたことを再び考えることはなかった。仕事に行く準備や練習に追われ常に何かに気が散ってしまいがちだった。一方で鴻島での生活は朝から晩まで一つのトピックについて考えて、飽きたら次のトピックを考える、といった思考の流れなった。意識を遮る騒音や人の声が聞こえないことや、仕事も忙しくなく自由時間が多いことが理由だと考える。また人間関係によるストレスが消え、綺麗な空気と海に囲まれて心が回復する。千葉にいた時は40分瞑想するのが日課だった。油断していると損得勘定に基づいた人間関係や社会通念の抑圧に飲み込まれる恐れがあったので、せざるを得ない状況にあった。気が散る要素が氾濫する環境で、9時から6時までのフルタイムで労働し、短い可処分時間を意味のあることに使うためには、優先事項が整理されている必要があった。島ではこれらを気にする必要がなくなった。窓から青い海と空を眺めているだけで心が安らぐためだ。
一方で半径1km県内にほぼ誰も人がいない環境に住むと、万が一何か起きた時に自分で対処できるか不安になる。先月は牡蠣で食中毒になった。岡山県日生は牡蠣生産が盛んな場所で、新鮮で巨大な生牡蠣が都市部では想像できない価格で手に入る。調子に乗って食べていると、気づいたら数日間ベットで寝込んでいた。幸い胃が消化できる食べ物があったのでなんとかなったが、島に店はないため、何も無かったら食料調達に苦労したかもしれない。有難いことに今は島に住む人達と仲良くなることができた。何かあったら助けを呼ぶことはできる。人間一人では生きれない現実を再認識する。
また、次の人生のステージについて漠然と考えることが多くなった。幸いにもどのような自己表現をしたいか、成りたい姿は想像できるが、どこに存在したいかが明確ではない。人の繋がりから孤立した環境にいると、アメリカにいた時のようなミュージシャンに囲まれてインスピレーションを受ける環境に憧れる。ただ都市の波長は合わないため、今のような場所で世捨て人として好き勝手に生きていることも想像できる。自然豊かな場所にミュージシャンやアーティストが集まるユートピアがあればと願う。
今月は費やせる時間の多くを楽器に触れる時間に充てていた。自身の演奏を見返す機会も多かった。この作業はやらざるおえないがやりたくない。耳が発達すればするほど、現実と理想が乖離する。耳が常に先に発達してテクニックが後に付いてくるから、一生辿り着くことができないジレンマがある。音楽は人を謙虚にする。
4月は右手のスリーフィンガーの改善に注力した。リズム改善を意識すると右手が追いついていないことに気づいたためだ。弦を跨いでピチカートする際、いまだに右手の3フィンガーがスムーズに動かず、このテクニックの習得は時間がかかると実感する。少しずつ改善されているようだが、あとどれぐらで2フィンガーと同じぐらい自然にピチカートできるか見当をつけるのが難しい。確かNHOP(Niels-Henning Ørsted Pedersen)は2年掛かったとインターネットの記事を見掛けたことがある(厳密には2年後に目撃したらピチカートスタイルが変わっていたというのが正しい)。
3フィンガーは2種類の右手の角度、スタイルがある。一つ目は弦に対して指を平行にして弾く方法と、もう一つはエレキベースのような、弦に対して指を垂直にして弾く方法。前者は弦に当たる指の面積が広いことからレバレッジをかけて大きなサウンドを得ることができる。後者は速いフレーズを弾く時に役立つ。問題は前者で指を弦に平行にした際の弦跨ぐフレーズが2フィンガーと比較して難しい。このような意味では3フィンガーは右腕の自然な動きとは言えない。かといって習得する価値がないとは考えてないため、今後も練習を継続する。
練習という点では今月はコルトレーンの曲のコピーに注力していた。ジャズを学習する者なら通る道かもしれないが、次に何のレジェンド達のソロをコピーをすることが今の自分に最大の利益が出るか考えることがある。コルトレーンのコード進行を解読したくて26-2のソロをコピーすることにしたが、コピーした後(指板にどこに音が存在するのか確認した後)反復練習するのをやめた。コルトレーンがどのような代理をコード進行に当てはめるのに興味があったが、何かしっくりくるものがなかった。トレーンの音楽を漁っているとLike Sonnyを見つける。
気づいたらこのソロをコピーしていた。彼のソロのどの部分を抜き取ってもコピーしたくなるぐらい美しい。26-2と比べて、フレーズの音域が広く力強さがある。ちなみにこの曲はKenny DorhamのMy Old Flame のロリンズの3:22のフレーズに影響されている。
Mike Longo: The Rhythmic Nature Of Jazz
4月はMike Longoの教材;The Rhythmic Nature Of Jazz Master Classについて考えることが多かった。MikeはDizzyと共演していたジャズピアニストで、Rhythmic Nature Of JazzはDizzyから伝授したポリメトリック的考え方が収録されている。Bebopの創始者であるDizzyの考えが映像として残っているのは教育・歴史的に見ても貴重だと考える。私がこのDVDを知ったキッカケはHal Galper(キャノンボールのピアニスト)のYoutubeを見て知った。ジャズのシンコペーションを理解することに興味があり、DVDの内容を学習し始めたが、予想以上に哲学的だったことに関心する。私がDVDから得た知識を簡単にまとめると、スイングのリズムはポリミーターの6/8, 2/3, 3/4, 5/4, 7/4が隠されていて、それを感じることがリズム感向上に繋がるという内容だった(ポリミーター習得するためにはコンガやハンドドラムを使ってDVDのエクササイズを実行する)。また、クラシックはモノリズミックに対してジャズはポリリズムが重なりあう(例を挙げるとNight in tunisiaが分かりやすい。ベース、ピアノ、ドラム、サックスがそれぞれ異なるアクセントを同時に演奏している)。
哲学的な内容としては、Onthological(存在論的)アプローチで音楽を演奏する必要があるという点だった。具体的には、音楽を物理現象として捉えることで、音楽が次のノートを導くような自然発生的なソロの取り方が必要だということだった。Mike LongoのDVDによると存在論という観点で音楽を理解しようとしたのはStravinskyが原点らしい。
DVDを見始めたときはMike Longoの言う”音楽に感情を「込める」のではなく、音楽から感情を「受け取る」”(You don’t put feeling into music, you get feeling from music)の意味が最初は分からなかった。彼によると、音楽から感情を「受け取る」のはピタゴラスが考えたMusic Unversalis(天体の音楽)の概念にあたり、音楽から感情を「受け取る」のは自身のエゴや想像に基づいた演奏だと言っていた。つまり、人間が頭の中で想像したエゴをアウトプットするのではなく、いかにして音楽を自然発生させるかということがこのDVDのメインテーマだと考える。そのためにはどうしたら良いか、というのはDVDのタイトル通り、グルーブを主軸としてソロを展開する必要性がある。Michael BreckerもChristian Mcbrideも私が好きなプレイヤーは、楽器をドラムのように演奏するとインタビューで語っている。ルイ・アームストロングも(精確な格言は忘れたが)’challenge in playing jazz lies in finding the right note at the right time(ジャズを演奏する難しさは、正しいタイミングで正しい音を見つけることにある)’的なことを言っている。
ジャズの発明の一つはアフリカルーツのリズムを音楽に取り入れたことにあるため、リズムやグルーブを意識するのが不可欠だ。一方で(私もアメリカの大学のクラスでジャズを習った時もそうだったが)ジャズの教育現場では西洋音楽ルーツのハーモニーをベースとして教えられることが多い。代表的なコード進行やダイアトニックのスケールは習った記憶があるが、基礎的な3:4のポリリズムですら習わなかった。同じようにインターネットでジャズを演奏する方法を探すと、頻繁に使われるスケールやトライアドをコード進行に沿って演奏するいう情報が飽和しており、シンコペーションやスイングとは何かといったリズム観点のトピックは出てこない。この原因はリズムという概念はMike LongoがDVDで語っているように、知的知識 vs. 経験的知識(Intellectual Knowledge vs. Experiential Knowledge )だと後者にあたり、ハーモニーと比べて抽象的な概念で体得・言語化するのが難しいことにあると考える。
今月のどこかでジャズミュージシャンのインタビューを見ていて(確かGary BartzかPat Metheny かUlf Wakeniusかの誰か)気づいたことがあった。頻繁にミュージシャンのインタビューを見るようにしているため、誰が語っていたか忘れたが、ソロを演奏する時は何の音を演奏するのではなく、モールス信号のようにスタッカートのリズムでソロを展開することで、ソロののストーリラインがよりオーガニックになると聞いたことがある。この考えは存在論的即興方法の核心に近い気がする。
今年の2月にHal Galperのインタビューに影響されて、頭の中で’聴くこと’の重要性についてブログを書いた。ただ、何を聴くかという点については具体化できていなかった。Mike LongoのDVDを見て、即興中に頭の中で聴くべきはリズムパターンであることに気づいた。
ギア、レコーディング機材について
外で練習、レコーディングする機会が多くなっている。というのも、住んでいる場所から海辺まで歩いて3分も掛からないので、気が向いたらSLB300を持って外で練習している。気温も20°前後で室内で練習するのと大差がないため、比較的涼しい今がチャンスだと思い頻繁に外出している。


外で録音していると、わざわざアンプを持ち運んで、アンプから出る音をアクションカメラのショットガンマイクで拾うということが面倒だったため、オーディオテクニカのコンデンサーマイクを買った。もっと早く購入すればよかったと考える。レコーディングではピチカートのアタック感を拾うことができるため、DIとミックスするとアコースティックサウンドの再現性が高まる。また普段使いでも同じ理由でアンプで練習せずにマイク収音を頼りに練習することが多い。入手する前は録音で使うことしか興味なかったが、窓の近くにコンデンサーマイクを置き、そこから聞き取る鳥の鳴き声や自然音に癒される。
去年1万円ほどでリサイクルショップで購入したノートパソコンも録音している途中にデータが消滅することが何度もあったため、Macbook Airを導入した。使い勝手は良い。ただネットサーフィンする時間は増えた。
