音楽とは、不思議なもの。巡り巡って、いつか必ず自分に戻ってくる。遠回りのように見える道も、やがて一つに収束していく。
自己紹介
幼い頃、クラシックピアノを習っていた。鍵盤に向かう自分はどうもその魅力を理解しきれずにいた。真面目にレッスンには通っていたものの、譜面を読みながら精確な音を出す練習は機械的に感じてしまい、ハーモニーの美しさを感じる余裕がなかった。しかし、学生時代にFMラジオから流れるアメリカンロック(ビートルズ、マイケル・ジャクソン)や、父親のクラシックCD(惑星が一番好きだった)に囲まれて過ごすうちに、音楽は生活の一部となっていった。特に深夜にFMから流れるジャズには、どこか神秘的な魅力を感じた。高校ではギターの複雑そうなコードに尻込みしつつも、心に響く低音のエレキベースに出会った。
高校を卒業するとすぐにアメリカサーバーのカリフォルニアマップに飛び込んだ。コミュニティカレッジに通い、4年生大学に編入する目的だった。そこでは、クラッシックに没頭し、授業が終わると、カレッジ内のパソコン室に足を運び、ひたすらベートーヴェン、モーツァルト、チャイコフスキーなど交響曲に耳を傾け、ショパンやバッハの美しい旋律に浸っていた。モーツァルトの、一度聴いたら脳裏に焼き付いて離れない完璧なメロディ、血が沸騰するかのようなベートーヴェンの爆発的な表現、チャイコフスキーの暗闇に僅かな光が差し込むかのようなメランコリックな曲調に心を奪われた。
一方で筋トレというまったく異なる世界にも引き込まれていた。アメリカではジム通いが一つの文化となっていて、周りの同年代の男性たちも、当然のようにジムに通っていた。私もその波に自然と飲み込まれていった。いつしかベートーヴェンの第九をフルトヴェングラーとトスカニーニのどちらで聞くかよりも、ダンベルとバーベルのどちらでベンチプレスするか計画することに脳のCPUが支配されていった。高校卒業後60kgだった体重は、2年後に100kg近くになっていた。筋トレには精神依存性がある。
U.S.サーバーに住み始めて3年経過した頃、現地の友達にセッションの誘いを受けた。ただ、当時はベースギターも持ってない上に、町に楽器屋もなかったため、ベースギターと蚊取り線香サイズの安いベースアンプをAmazon .comで$100ぐらいで揃えた。その友達とRCHPをメインにガレージで演奏した(SnowやCalifornificationなど)。その時始めて、音楽を通してコミュニケーションが取れるセッションの楽しさを知った。
記憶力が悪く、何がきっかけでジャズを始めたのかは鮮明に思い出せないが、その友達とのセッションを始めてから、どうしたら面白いソロを取れるか気になり、即興音楽のジャズに興味を持ちはじめた、気がする。
2016年夏、機会に恵まれミネソタ州立大学に進学した。移住してすぐ、大学主催のジャズビッグバンドのコンサートを聴きに行った。ステージから響いてくるコントラバスのウォーキングベースは、生々しく力強かった。その音がまるで「これが本物のジャズだ」と言わんばかりに、私の心に響いた。コンサートから数日後、気づいたら私は大学の音楽科でコントラバスを借りる手続きをしていた。コントラバスを弾き始めたのはそこからだった。既に執着心は身体を鍛えることから、音楽に変わっていき、次第にジャズの重力に精神が持っていかれた。3年間鍛えた身体は風船のように萎み、体重は半年でまた60kgに戻った。そこから大学内でジャズ研を立ち上げメンバーとセッションしたり、それでも飽きずローカルジャズクラブに通いつめて深夜までセッションしたり、JazzFestival を見に行ったり、音楽を最優先する日常となっていった(大学内では専攻の経済学の勉学よりも、音楽科の学生と遊んでいることが殆どだった)。また、この時はジャズベーシストを聴くよりも、チャーリーパーカーやコルトレーンをよく聴いていた。特にトレーン。はじめて聴いた時は衝撃的だった。あまり好きではなかった。ジャズはスムーズな会話だという固定観念があった。一方でトレーンは会話というよりテナーから火災旋風が出ている。しかし不思議なことに、聴けば聴くほどその熱いエネルギーをもっと欲したくなる何かがトレーンにはあった。
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当時コントラバスは大学で数ヶ月借りたモノを除いて、地元のバイオリンショップで買った単板/ベニヤのハイブリッドを持っていた。弦高が高く、ウォーキングベースを弾くのだけでも難しかったのを覚えている。E弦1cm以上はあった。日本には持ち帰らず現地で売ってしまった。
大学を卒業し日本サーバー東京マップ」に戻り仕事をはじめる。そこから楽器を練習することは一時的になくなったものの、手元にエレキベースがあったので、東京の狭いアパートの一角で夜な夜な弾いていた。仕事でストレスが溜まった時、音楽に触れるその瞬間は本当に救いだった。毎日のデスクワークと変化のない日常で次第に音楽に対する情熱は薄れていった。その代わりにキャンプ→雪山→クライミング→ロードバイクの順番でアウトドア系アクティビティに取り憑かれていった。並行して筋トレにも再び熱が入り、体重も60kgから再び100kgへと増加した。
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ある時Anton DavidyantsがMichael Breckerのソロをコピーしている動画をYourube見つける。
あまりに不協和音、無調が多すぎてよく分からなかった。正直聴き心地が良くなかった。一方で自分が理解し得ない圧倒的なエネルギーのような何かが隠されていることを感じた。4ビート内に詰め込まれた未解読暗号のような情報量は初めてコルトレーンを聴いた時の衝撃と同じだった。聴けば聴くほど段々とディコードされる情報。その数日後、以下の動画をYouTubeでたまたまクリックした。
涙が出るぐらい心の深くに響いた。心のレイヤーの最深部にあるスピリチュアルな世界にまでブレッカーのサウンドは浸透した。そもそもスピリチュアルなレイヤーが人間の心に存在することに気づくような鮮明な体験だった。これは誰なのか即気になって調べてみたらマイケル・ブレッカーだった。この時初めて彼の名前を知った。Peepのソロでは強いテンションを意図的に散りばめ、限界を超えた速さでカラフルな転調Lickを吹きまくっている一方で、Common Ground では魂に直接語りかけてくるようなソウルフルなサウンドと共に、ギターを模倣したペンタトニックや明快なトライアドフレーズと速いハードボップフレーズの組み合わせ。二人が本当に同一人物かを疑うほどだった。
以来、ブレッカーの音楽を聴き漁り、音楽に対する情熱に再び火がついた。
時は進み千葉マップで新たな仕事が見つかり、現在は仕事をしながら音楽を探求している。2024年一月からは中古ベニヤコントラバスをネットで買い、練習を再開した。弦高が低く弾きやすいことから嬉しさと、昔のコントラバスとの格闘に意味があったのか虚無を感じた。今はこのコントラバスで練習している。追記: 現在SLB300をメインに使用している
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自分が書きたいテーマのジャズ>ベース>コントラバスの世界は、昨今人口は人類史で一番増えているとは聞くものの、英語/日本語でインターネットを探しても情報が簡単に手に入らない。アフィリエイトとマネタイズのカオスの渦に巻き込まれたネットで、生の情報を探すのはより難しくなっている。
私が発信することでどこか誰かの役に立てば嬉しい。
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<好きなミュージシャン>
マイケル・ブレッカー、コルトレーン。他にはバード、マイルス、ジョー・ヘンダーソン、ロリンズ、モンク、パット・メセニー、マッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズ、ビル・エヴァンス
<好きなベーシスト>
Yuri Goloubev, Christian McBride, Marco Panascia
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自分に終わりが来るまでこの音楽の旅を楽しみたい。